読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

コクリコ坂を見て

ありがちなお話だとも思うのですが、ほのぼのする話でもありました。
あの方々が現役なら、現在60代半ばといった所でしょうか。
当時の日本は高度経済成長の真っ只中、アジアの経済大国として爆走していた時期ですね。どこかで戦後の名残を残しつつも、新たな世界へ向けて全ての国民が活力にあふれていた時代だと思います。当然安保闘争だったり、東大の安田講堂事件など、日本的に大きな事件も当時は起こりました。若者も国を本当に憂い、行く末について夜を通して語り合っていた時代です。
コクリコ坂では主人公の海を通じて数々の人が海と知り合いです。ここに私はスポットを当ててみたいと思います。恋愛のお話は他に色々記述があるとおもうので、そちらでどうぞ(笑)

最近、隣に住んでる人の顔さえ見たことがない、という話をよく聞きます。都市部によくある話だと思いますが、マンションに住んでる人に多いように感じます。
これらは明らかに地域のコミュニティが崩壊していることを意味しています。この考えは東日本大震災でもクローズアップされました。
東北の方々は都会にない強固なコミュニティ力があります。ご近所を通した付き合いが今なおしっかりと根付いているからです。これは東北に限らず田舎では当たり前の風景なのだと思いますが、コクリコ坂の舞台、横浜で今この動きは厳しいでしょう。
自然とお隣さんをお隣さんととらえ、鍵さえかけずにお迎えする。これは昔の日本では当たり前の風景でした。
今や、その発想は失われ、過度な個人情報保護法などにより、孤立化が進んでいます。名前もあかさず仲良くなれますか?
犯罪が増え、鍵をかける事が当たり前となり、また、携帯端末等の爆発的な普及に伴い人に会わずともコミュニケーションが取れる、だからこういったコミュニティ無くても生きていける時代にはなりました。それは私にも解ります。ですが、それだけで人は生きてはいけません。
どれだけ世界が便利になろうと、人との繋がり無くして文化も社会も発展はしないのです。
地域の絆がどれだけのパワーを発揮するものか、特に東日本大震災に遭われた方々は強烈に感じたはずです。
宮崎作品は社会へのメッセージが随所に込められています。監督自身が歳をとるごとにそれは強くなってると思います。
それをどう捉えて観るか、は個人の判断となりますが、私はそう感じています。
こういった崩壊したコミュニティを復活させていこうという流れと動きも感じますし、実際その活動をされてる方々も沢山いらっしゃいます。
しかし、意図的に作るコミュニティと自然と形成されていったコミュニティとでは圧倒的に違いがあります。
自然と形成されていったコミュニティが戻ることはもはやありません。時代の流れは今はそこまで緩やかではありません。でもいつの日か、コクリコ坂の様な自然のコミュニティがまた来る日があれば良いな、と思いつつ。