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少しおもたいこと

人ってつらい時やしんどい時はだれかにすがりたくなりますよね。

で、その時にいっしょに辛い思いを乗り越えた人とは親友になったり恋人になったりするものです。

長いこと付き合っていくと、その時の気持ちも薄れ、結局は自分可愛さが前面に出て、「あの時」の記憶は消え去ってしまう。

ほどこしを受けた側の人ほど、この事を軽視して忘れてしまう人多いです。

共に苦しみ、共に笑い、共に生きてる事をその時にお互いで確認しあったはずなのに、ほんの些細なことでそのことさえも水泡に帰す。

時間はもとには戻らない、進むしかない、たとえ失敗だとその時に気がついても、さかのぼって時計の針を巻き戻す事は出来ないのです。自ら行った行為を悔み、呪い、それを糧に生きていくしかない。

こなすことで人は強くなると同時に、孤独を追及することになるでしょう。人を信用すればまた同じことが繰り返されるかもしれない。孤独で居る強さと、人を信用できない心の弱さを抱えながら、生きることになるでしょう。

でも、相手にはこれが理解できない、辛い思いをしたはずなのに、自分が楽な位置にいってしまうと、自分の事へ置き換えて考える、という行為を放棄してしまう。

そうですよね、誰も辛いことまた経験したいとは思いませんよね。

これを繰り返されると、人間不信になります。そして人を信用しても、裏切られても戻れる位置までしか信用しなくなります。年月が長ければなおさらでしょう。

どこか冷めてる、冷静で淡々と物事をこなす、人が亡くなっても事務的にこなす。

楽しめる自分の夢、未来への希望、具現化したい様々な事が必ず人にはある、でも、それを100%叶えられる人間は居ないでしょう。だから出来る範囲でかなえようとみな頑張るのです。

個性、性別、性格、顔、体系、人はどれをとっても全く同じ人はいません。その人が交わって同じ道を歩もうとするなら、お互いがお互いを理解する気持ちがなければやっていけないのですよ。それも頑張りの一つなんです。

辛いことがあったなら、私ならこう思うだろうな、俺ならこう行動する、相手の立場にたって一言添えてあげるだけでその人は救われること、決して忘れてはいけないと私は思います。

信用という言葉は甘えにもなる、自戒できる心の強さをもった人とコミュニケーションが取れたとき、生きていてよかったと感じる事ができるでしょうか。